『田園の詩』NO.77 「謙遜と誇り」 (1998.2.17)


 テレビの旅番組や地域紹介番組などでは、レポーターが何軒かの職人の工房を訪ねるのが
お決まりのようです。

 そして、「高度な技術ですね、素晴らしい作品ですね」とレポーターが感心して話しかけ
ると、「いえいえ、満足のいくもの、納得のいくものは、いまだにできません」と、ほとん
どの職人さんは答えます。

 先日も、包丁作り五十年になるという鍛冶屋さんが、やはり同じように答えていました。
テレビの画面から、その人の謙虚な姿勢、誠実さが伝わってはくるのですが、私にはここ
のところがいつも気になるのです。

 私も職人の端くれとして『技術は奥が深いもの。職人は一生勉強』と教えられ、自分でも
そのように強く感じています。

 しかし、芸術家ならいざ知らず、道具(商品)を作る職人が自分の作ったものを≪未完
成品≫≪不満足品≫とも受け取られる発言をして良いかどうか、ということです。

 道具には大別して標準用と、一ランク下の初心者用、一ランク上の専門家用があります。
職人は、原料をそれ相応に吟味し、手(技術)の入れようを加減し、そこから値段の違い
を明確にして、それぞれのランクを作り分けます。

 標準用を注文された時に、初心者用のランクしかできなかったら技術の未熟さを露呈す
ることになり、不満足と思うのは当然でしょう。逆に専門家用を作ってもいけないのです。
どのクラスの注文がきても間違いなく作り分けができてこそ熟練の職人なのです。


      
     工房の玄関横の床の間に飾ってある筆です。それぞれ、長さ・太さ・書き味が違うので、
      来訪された方には水書きして、試筆してもらい、選んでいただいております。



 その意味で、技術をフルに発揮して各ランクに作り分け、相応に値段設定したのであれ
ば、職人は「ここにある自分の作ったものは、全て満足のいくもの納得のいくものです」と
いっていいはずです。これこそ本当の責任ある態度だと思います。

 私は自分の作った筆を、「この値段でこの品質なら、どこに出しても恥ずかしくない」と
納得の上で送り出しています。

 ただ道具物は使い手次第、多少のズレが生じる場合もあります。やはり一生勉強です。
                            (住職・筆工)

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